会長あいさつ。

思い出の釘ケ浦

同窓会会長 大石 幸雄(高9回)

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 写真中央の勝間田川河口にかかる水門は、静岡県が第3次地震被害想定において予想される、東海地震による津波被害を軽減するために、平成八年度より建設をすすめてきたものであり、今年4月に約47億円をかけ、150号線下流、中条川合流部に完成した海抜6.2メートルの水門である。釘ケ浦に流れる湯日川、萩間川、須々木川水門共に島田土木事務所からの、光ファイバー回線と地上系無線の二重化を図り、遠隔監視操作されている。
 上記の写真は八月に撮影したもので、榛中生、榛高生には思い出多い情景だと思う。
 手前には旧田沼海道の港橋があり、水道橋は旧駿遠線の木橋である。さらに現在の150号線にかかる橋があり、水門の右岸は鹿島の農場、左岸は中条川との合流部となっており、海岸まで続く松林と畑は寄子川まで続き、海を含め、思い出の場所である。
 水門の付近に河口をもつ中条川は、培本塾史や百周年記念誌と、大石孝・塚本昭一両氏の話によれば 「元は牧之原台地と共に幕府の直轄地であり、後に静岡薄領となったものである。それを中条景暗が払い下げを受け、勝間田川から寄子川迄が中条さんの土地となったが、後に一般に売却された」とのこと。それによって中条川の名の由来も知ることができた。売却された費用の一部で榛中設立時に講武館を建てたようだ。又水門南の東に続く海岸雑種地は、小田原校長時代に静波区有地六町歩余と、細江堺の旧用地と新開地 (旧保養センター東西側)約四町歩余を求め、終戦にかけて榛原中学の作業教育の地であった。その後農業科が廃止され、新生培本塾出発の為に、海岸すべての土地を静鉄その他に売却し、培本塾会館の建設と付近の整備をし、現在も運営を続けている。
 又、白浜に続く静波の海では、水練や遠泳が.行われ、尊い汗を流した作業地と共に思い出の釘ケ浦である。